【新1万円札の顔】近代日本の設計者 渋沢栄一の「論語と算盤」
「論語と算盤」は近代日本の設計者の一人と称される渋沢栄一が講演等で話した内容などをまとめたものを現代語訳したものとなっています。
渋沢栄一とは?
新しく1万円札の顔になる人!福沢さんから渋沢さんへと入れ替わることになります。お札の顔になるということは立派な功績を残された方ということです。
渋沢さんは近代日本の設計者の一人と称されるほどの偉人で、実業家として功績を残しました。多くの会社は渋沢さんによって設立されています。渋沢さんが設立に関与する有名企業に、JR、日経新聞、サッポロビール、みずほ銀行、帝国ホテル、ほかには明治神宮や聖路加病院など...もしかするとあなたの勤めている会社、将来、勤めることになる会社も渋沢さんが大きく関与しているかも知れません。
それほどに近代日本におおきな影響を与えました。
具体的に渋沢は何をしたのか?
近代日本を築いたといっても具体的になにをしたのか。渋沢さんは「利潤と道徳の調和」を成し遂げました。
渋沢以前の日本では、論語を中心とした道徳教育、人格形成が広く行われていました。また一方で、算盤(そろばん)を弾く経済活動において自己の利益の追求が行われました。これら2つは交わることがなく、自己の利益を追求する資本主義の暴走を、渋沢さんは懸念しました。
そこで渋沢さんは、「論語をもとに人格形成を行い(道徳)、それを元にした利益を追求」を目指し、その融合を可能としました。その結果、現代にも影響を及ぼすほどの功績、数々の大企業を生み出しました。
「論語と算盤」は正直、読みづらかった...
特に渋沢さんのことを下調べすることもなく、「1万円札の顔になる人!」ということと評判もよかった、というだけで手を出しましたが、ぼくにとっては歯応えがありすぎ、いや噛みきれず、なかなか理解に及んでいません。何度も読み返せば、こんなぼくにも飲み込める内容になっていくのだと思います。
きっと現代の日本では利益を追求することに傾いていて、道徳がおろそかになっているのではないか。SONYの元社長 井深さんが「心の時代になる」といったのは、背景に「論語と算盤」の理念があるのではないかと考えています。
「論語と算盤」は、これからの日本で生きるだれもが読んでおくべき一冊であると思います。
自己利益を追求してもいい!偽善だっていい!
渋沢さんは「自己の利益追求が正しい事業、正しい行いであるなら、結果的に社会、国家のためになる、それなら偽善でも、自己利益追求でも良い」といいます。
たとえば、江戸幕府の八代将軍吉宗公が、市中の見回りに出た際、親孝行の者が老母を背負ってお寺にお参りしていたので褒美を与えた。
ところが、普段から行いの悪いならず者がこれを聞いて、「それならおれも一つ、褒美をもらってやろう」と、他人の老婆を借りて背負い、お参りに出かけた。
吉宗公が、これにも褒美を与えたところ、側役人が「彼は、褒美をもらいたいために、孝行を偽ったのです」と、待ったをかけた。
すると吉宗公は、「いや、真似は良いことである」とお誉めの言葉をかけたという。
(引用)
このならず者の行いが老婆に迷惑をかけたかも知れませんが、いい行いは評価されやすいと渋沢さんは説いていました。結果的に、社会、国家のためになるかどうかが判断基準ということだと思います。
1万円札に見放されたくない思いで...
新1万円札に見放されないよう、あの世にいる渋沢さんに媚を売ろうと読みましたが、弾き返された気持ちです。また、成長してこの本を読み返したいと考えています。
実は、渋沢さんも「女性関係」には だらしないようで、なんだか渋沢さんに好感というか人間味というか、が持てました。お茶目なところがあり安心です。